東日本大震災への対応

関与先・職員と離ればなれになっても信頼関係をつなぎ続けた

税理士平間廣事務所 平間 廣(東北会福島県支部)
平間 廣会員

平間 廣会員

取材日:平成23年10月25日(火)

36年前から福島県南相馬市に事務所を構える平間廣会員は、福島第1原発の事故により約1ヶ月間の避難生活を余儀なくされながら、その間も関与先や職員との連絡を絶やさず「絆」を保ち続けたという。平間会員に、震災復興に向けた事務所経営や関与先への支援状況について話を伺った。

巡回監査帰りの職員が老女を救出

 ──地震が起こったときは何をされていたのですか。

 平間 私は事務所にいたのですが、震度6弱の凄い揺れだったので椅子に座っていられず、職員に「全員机の下に入れ」と指示を出して自分もすぐに隠れたんです。時間も長くて、まるでジェットコースターに乗っているような感覚でした。
 天井まである大きな本棚がずれて本が落ちてきましたが、幸いパソコンなどが床に落ちて壊れるということもなく、地震そのものの被害はたいしたことありませんでした。
 津波は海岸から約1.5㎞、事務所の近くまで到達していたそうですが、全然気がつきませんでしたね。外出していた職員が戻ってきて「津波がすぐそこまで来ていますよ!」と教えてくれて驚きました。結局南相馬市では、海岸近くの方を中心に600人以上が亡くなったそうです。

 ──巡回監査に出ていた職員さんは皆さん無事だったのですか。

 平間 その日は7人の職員が巡回監査や税務署への書類提出のため外出していたのですが、幸い誰も津波に巻き込まれることはありませんでした。
 ただここまで津波が来るとは思っていなかったので、実は危なかった。というのは、地震のあと職員をすぐに自宅に帰さず、午後5時くらいになってから帰宅させたのですが、もし3時頃に帰していたらちょうど海側の道路を通って津波にやられていたからです。
 また当日外出していた職員には、その時の状況を書いてもらいました。

・関与先から6号線(南相馬市を南北に貫く幹線道路)までは問題なかったが、6号線からは警察官がそれ以上浜に向かえないように立っていたので、仕方なく裏道を通って事務所に戻った。

・関与先社長と面談中に地震が発生し、4時に事務所に向かった。途中の道路に船が転がっており事態が飲み込めなかった。

・関与先から6号線で事務所に戻る途中、海の方角から土煙をあげて迫ってくる津波を目撃。津波に流された車の中から老女を救出し事務所に戻った。

 ──事務所に戻る途中、人命救助をしていた職員さんがいらっしゃったのですね。

 平間 私も後で聞いてびっくりしました。他に、税務署に書類を提出に行っていた女性職員は自宅が心配になって一度帰ったそうですが、自宅で津波に遭遇し20mくらい車が流されたそうです。幸いその職員は無事でしたが、祖母の方が亡くなってしまいました。

避難中は毎日職員とメールを交換

 ──震災翌日には、福島第1原子力発電所で水素爆発が起こりました。

 平間 原発事故のことは翌日の12日のお昼頃テレビで知りました。原発のある大熊町の関与先社長が「12日の早朝には避難のバスが来た」と話していたので、そこは行政の対応が早かったようですが、南相馬市は何も無かったですね。
 また東京に出張中だった息子からは、実家に帰省していたお嫁さんと5ヶ月になる孫に石油ストーブを持っていって欲しいと頼まれていたので、妻と一緒に車で向かいました。6号線は通行止めでしたが、内陸側の道を遠回りして何とかたどり着きました。
 するとまた息子から電話があり、今度は原発事故を心配して「すぐ妻と子どもを東京に連れてきて」と言ってきたんです。東京も大変な状況だったので大阪で息子と合流することになり、それから約1週間、大阪のホテルで過ごしました。

 ──不在の間、事務所はどうされていたのですか。

 平間 14日から出勤日だったので、13日に職員に電話し「俺はすぐに戻るけど、事務所は休業にするからしばらく休んでくれ」と話したら「とても仕事ができる状態じゃないので、そのまま大阪にいてください」と言われました。
 そこで職員には担当している関与先の被害状況を確認し、毎日私に報告してもらうことにしました。それを集計したリストを毎日職員の携帯メールに返信し情報を共有したのです。
 20日には東京に住んでいる娘のマンションに移動し、翌日には東京に来ていた福島SCGサービスセンターの高須センター長や、同じように避難していたTKC会員とお会いしました。そして「とにかく情報がないので早くProFITを見たい」とセンター長にお願いし、(株)TKC東京本社で見られるように手配してもらったんです。
 東京本社では、たまたま通りかかった髙田社長に「事務所のホームページに掲載できるように、政府の復興支援策を一覧できる分かりやすい資料を作ってほしい」と要望を伝えたところ、すぐに対応していただき本当に助かりました。

 ──業務を再開できたのはいつ頃ですか。

 平間 結局、南相馬市に戻れたのは4月に入ってから。再開するにあたり、職員向けの説明会を開きました。その内容は、①4月12日から週3日の勤務体制で再開し、その後は仕事の状況を見て増やしていくこと、②解雇はせず政府の雇用調整助成金を使うこと、の2つ。
 でも残念ながら1人の女性職員が放射能不安による親の理解を得られず退職し、2人の幼い子どもを持つ男性職員も子どものために退職して東京に生活拠点を移したいとのことでした。幸いなことに彼は東京の会員事務所で雇っていただくことになりましたが。他にも避難先から勤務日だけ南相馬市まで通うなど職員には苦労をかけていますが、みんな頑張ってくれていて本当に感謝しています。

原発事故により100件の関与先が避難

 ──関与先企業の津波被害、避難の状況についてお聞かせください。

所内風景

職員さんを見渡せるようにレイアウトされた所内

 平間 職員からの報告では、なかなか電話が繋がらず、直接訪問して安否確認をすることもあったようです。最終的に全ての関与先と連絡がついたのは4月下旬くらいでしょうか。
 約300件の関与先のうち、津波で住宅・工場・店舗などに被害を受けたのは30件程度ですが、原発事故の影響で避難している関与先が約100件。避難先はいわき市や福島市が多いですが、中には新潟まで避難している関与先もいました。
 震災当初は、いつ仕事を再開できるか、あるいは事業を続けるべきかどうかなどの相談が多かったですね。

 ──そうした関与先に対し、どのような支援を行ったのでしょうか。

 平間 まずは一刻も早く連絡をとってつながりを保ち続け、信頼関係が途切れないことを意識しました。
 あとは情報発信です。国や福島県は様々な支援策を講じていますが、そうした情報を知ることができない関与先は多い。そこで、TKCに作ってもらった、各省庁、保険関連、東京電力関連などジャンル別に分けたリンクを事務所ホームページ(以下HP)に掲載し、常に更新していました。関与先に「とにかくウチのHPを見てください」と伝え続けた結果、閲覧数が急増しましたし、ある関与先社長からは「先生いつもHPを見ているよ」と感謝されましたね。
 あとは東電の賠償請求のお手伝いです。20㎞圏内で営業できない関与先からの顧問料は一時的にストップしていますが、賠償請求のためには決算書が必要なので、その作成を低料金で請け負っています。他に、弁護士の息子夫婦と協力して賠償請求のセミナーも開催しました。
 とにかく、関与先には一日でも早く事業を再開していただけるように、できる限り支援しようと考えています。それが結果的に事務所の復興にもつながります。

 ──休業を余儀なくされ、売上が激減した関与先も多いのではないでしょうか。

 平間 実は関与先の業績については、業種によって明暗が分かれています。というのは「警戒区域」となっている20㎞圏内から、隣町の相馬市に多くの避難民が流入しているだけでなく、復興支援の警察、自衛隊やボランティアなども集まっているので、相馬市の人口が一時的に増えているからです。そのせいか小売業などの売上の減少はそれほどでもありません。また瓦礫の撤去や運搬、産廃処理など建設関連の関与先は軒並み売上が増加し、過去最高の利益だったところもあるくらいです。
 その一方、製造業はかなり厳しい状態ですが、そんな中でも力のある関与先は避難先で工場を見つけるなど、いち早く事業を再開しているケースもあります。

長男と連携し法務にも対応できる事務所に

 ──TKCからの支援はいかがですか。

 平間 まず、全国の会員の皆さまから励ましの言葉や多くのご支援をいただいたことにお礼申し上げます。震災直後は不安だったので本当に勇気づけられました。
 また東北会の植松正美会長や大藤正樹副会長にわざわざお見舞いに来ていただきましたし、高須センター長をはじめ福島センターの皆さんにも何度も情報を持ってきていただきとても助かりました。
 事業を再開した関与先から巡回監査をはじめていますが、避難先で事業を再開している場合も現地まで訪問しており、いわき市や筑波市、一番遠いと新潟県にまで巡回監査に行くので本当に大変です(笑)。センターのSCGさんにも、FX2の設定のため新潟の関与先に行ってもらいました。
 翌月巡回監査率も徐々に回復しており、今は70%くらい。職員の勤務日もこの10月からは週4日に増やしました。

 ──少しずつですが、震災前の業務体制に戻っているようですね。

 平間 やはり、多くの職員が残ってくれているおかげです。ある近所の会計事務所では、ハローワークの助言に従って再雇用を前提に職員を一旦解雇したのですが、いざ通常業務を再開するとき職員が戻ってくれず、非常に苦労したそうです。
 また今回痛感したのは、東電への賠償など法律面での需要の多さ。そうした面は税務・会計の知識だけではカバーできないのですが、幸い長男夫婦が弁護士なので今後はさらに協力していこうと思います。
 将来は、税務・会計・法律の三本を柱に、関与先の期待に応えられる事務所体制を整えていきたいですね。

水野会員とはる子夫人

事務所の前で職員の皆さんと

(TKC出版 村井剛大)


平間廣(ひらま・ひろし)会員
 昭和50年11月福島県南相馬市にて開業。同51年8月TKC全国会入会。前福島県支部長。

税理士平間廣事務所
 住所:福島県南相馬市原町区高見町2-103
 電話:0244-22-4149

高須亮二センター長

被災事務所が求めている支援を教えていただきました

福島SCGサービスセンター長
高須亮二

 震災直後から福島県支部長(当時)だった平間廣先生とは会員の安否状況等をご報告するため常に連絡をとっていました。ご自身が大変な状況にもかかわらず、他の会員の心配やセンター社員に対する激励のお言葉をたくさん頂戴しました。また、避難先の東京でお会いした時には「今必要な事は国や各自治体の復興支援策等の情報である」と、被災会員がどのような支援を求めているのか教えていただきました。
 そうした助言のおかげで、センターとしてもインターネット等で国・福島県・市町村等の復興支援情報・資料を収集し、関与先向け復興支援情報として会員事務所へタイムリーに提供するなど、迅速かつ的確な支援ができたと思います。
 震災当日は、福島センターが入居する郡山市内のビルも長く激しい揺れに襲われ、天上は落下し、ロッカーの中身は床に散乱、プリンタも破損するという有様でした。震災翌日は福島第一原発1号機で、さらに14日には3号機で水素爆発が起こり、先生方は一時県外等へ避難しましたが、栃木本社に「TKC会員事務所救援センター」を発足させて営業再開が難しい事務所を全社一丸でサポートすることができました。また、全国に避難している関与先にもSCGが訪問し、支援を行っています。
 福島市内は依然として厳しい状況ですが、今後も会員事務所・関与先の復興に全力を傾注してまいります。

(会報『TKC』平成23年12月号より転載)