東日本大震災への対応

東日本大震災からの復興に向けた想いを語り合う

第32回TKC東北会秋期大学in福島・パネルディスカッションから

とき:平成23年9月13日(火) ところ:ホテル辰巳屋

東日本大震災から約半年となる9月13日に福島で開催されたTKC東北会秋期大学。パネルディスカッションでは大藤正樹副会長がコーディネーターを務め、津波や原発事故によって甚大な被害を受けた会員が、復興に向けて力強く取り組んでいる現状について語り合った。

出席者(敬称略・順不同)
■パネリスト
 菅原弘志会員(岩手県支部)
 ・髙橋台蔵会員(宮城県支部)
 水野貴雄会員(福島県支部)

■コーディネーター
 大藤正樹会員(宮城県支部)

座談会

近所の住民のほとんどが津波に飲み込まれてしまった

 大藤 本日は「東日本大震災からの復興に向けて」というテーマでお話いただくため、3人の会員にお集まりいただきました。私も含め、本日参加されている会員の中にも被災された方が多数いらっしゃいます。そうした皆さまの気持ちも受け止めつつ、復興に向けて語り合いたいと思います。では当日の状況からお聞かせください。

菅原弘志会員

菅原弘志会員

 菅原 震災当日の津波は、今から約1100年前の「貞観地震」の際に起こった津波と同じくらいの規模だったそうですが、私は「津波が来る」という考えはまったく浮かびませんでした。揺れは確かに激しかったのですが、私の自宅兼事務所(岩手県陸前高田市)は海から約3㎞離れていたし、海岸には6mの防潮堤があるのでここまで来るわけないと安心していたんですね。
 たまたま私は道路に出ていて「川の水がどうして下から上に上がってくるのだろう」と悠長に見ていましたが、そのうち電柱がバタバタと倒れてきたので、これは大変だと気が付き、すぐに一家5人で山の方に逃げて助かりました。近所では自宅に居た方が多く、ほとんどが津波にのみ込まれてしまったようです。

 髙橋 地震当日は確定申告の期限も迫っていたので私を含めた12名の所員が事務所(宮城県気仙沼市)におり、1人だけ外出という状況でした。地震がきて机の下に隠れたのですが、すぐに停電になってしまいテレビもラジオも一切つきません。職員もすぐ戻ってきたので、とりあえず避難することにしました。
 といっても津波が来るという危機感があったわけではなく「念のために避難しておこう」くらいの軽い気持ちで徒歩で近くの高台に向かったのです。途中で「子供が心配」「足の悪い母がいる」と帰宅した職員が2人いたのですが、そのうちの1人が渋滞につかまり津波に巻き込まれてしまいました。結局無事でしたが危機一髪でした。
 高台から事務所の方角を見たら、黒い壁のような波が道路に沿って縦横無尽に流れてくるのが見えてゾッとしました。
 その日は事務所には戻れず市民会館で一晩を過ごしたのですが、着ているものは普通の背広だけだったのでものすごく寒くて、新聞紙を体に巻き付けイスに座って寝ました。ふと窓の外を見ると真っ赤になっていて、街全体が火災となっていることを知りました。自宅の方角も真っ赤だったので「これはもうダメだな」と思い、外に出て確認する気力もありませんでした。

 大藤 本当に津波の恐怖が伝わってきて、お二方ともよく無事に避難されたと思います。
 水野会員は津波とはまた別のご苦労があったと思いますが。

 水野 福島県双葉郡にあった私の事務所は東京電力福島第1原発から約5.5㎞に位置しています。私は30歳の時に東京から地元に帰ってきたのですが、その時父親に「原発で事故が起きたら補償はどうなっているの」と聞いたら、その話題は禁句だったようでバカ呼ばわりされました。そんな原発に頼っている町の体質が本当に嫌でしたね。
 地震当日は50件の電子申告をしようと思って準備をしていました。地震直後、私は職員に「プリンタを押さえろ」と指示を出したのですが、昨年入所した若い女性職員などは腰を抜かしてしまって立てない状態だったのに申し訳なかったですね。
 その後、およそ2時間かけて事務所内の整理をし、それから職員には帰宅してもらいました。その日は同じ町内に住んでいた両親の家に泊まったのですが、次の朝6時に突然、集会所に避難しろという防災無線があったので集会所に向かったんです。
 到着するとバスが何十台も用意されていて、どうして避難するのか理由も知らされないままとにかく西へ向かうとのこと。バスが足りなかったようで、私たち家族は自衛隊の幌付きのトラックに乗せられました。出発したのが13時半くらいでしたが、郡山の避難所に着いたのは夜中の1時半過ぎ。12時間以上も慣れない自衛隊の車に乗っていたのに、緊張していたのか誰も体調が悪くならなかったのはかえって不思議でしたね。

「事務所を続けてほしい」との社長の言葉で再開を決意

 大藤 皆さん一度は辛くて廃業も考えたそうですが、それを乗り越えて現在事務所業務を再開しています。きっかけは何だったのでしょうか。

 菅原 たまたま震災の数日前に福島大学の飯田史彦教授の本を読んでいて、その中に「全ての出来事は魂が進化するための試練だ」と書いていたので、この津波も同じなのかなと。確かに「生かされているな」と感じる奇跡が次々と起きたんです。
 まず家族5人が一緒にいたこと。ご家族がバラバラになった人も多かったですから。
 それとサーバーが見つかったこと。自宅兼事務所があった場所は瓦礫の山で、もちろん何度もサーバーを探してみましたが見つからず諦めていました。ところが3月25日に岩手県支部長の佐藤利行先生が訪ねてきたとき「もう一回探してみましょう」ということになったので、瓦礫を撤去した後の道路沿いを探して歩いたところ、道端に横たわっていたサーバーを佐藤先生が見つけてくれたんです。それで1ヶ月後にデータを復元することができました。
 事務所については、倉庫を持っていたのでそこを改装して5月の連休明けから作業を始め、手つかずだった3月決算法人の申告を7月までかけて終わらせました。職員については悩みましたが「給料を下げてもいいので雇い続けて欲しい」と言われたので、皆に感謝して引き続き働いてもらうことにしました。

髙橋台蔵会員

髙橋台蔵会員

 髙橋 私は事務所の車も職員の車も全部流され、またガソリンもないという状況で、電気、ガス、水道、電話などのインフラも全部ダメ。一番復旧が早い携帯電話も10日後にやっと繋がるという状態だったので、3月中は何もできませんでした。
 幸いだったのが、避難所が被災した皆さんが集まる交流の場だったことです。そこで知り合いの安否を含め色んな情報を知ることができました。
 正直、被災した直後は事務所の規模を大幅に縮小して「1人で相談業務だけをする事務所にしようかな」と考えていたのですが、私に相談するために来た方が逆に私を励ましてくれたり、私より年配の関与先社長が長い距離を歩いて「ぜひ事務所を続けてほしい」と伝えに来てくれたので「これはもう少し頑張らないとな」と思い直したんです。
 事務所は浸水して使える状況ではなかったので新しい場所を探したのですが、運良く知り合いが経営していた元託児所を借りられることになりました。
 サーバーは菅原先生と同じでTKCに復旧してもらえましたし、SCGの方が何度も来てくれてパソコンの貸出をしてくれたので何とか業務を再開することができました。本当にTKCの支援のおかげだと思います。

 大藤 サーバーの確定申告のマスターデータが無いと大変ですよね。水野先生は現在いわき市で業務を再開されているとのことですが、これまでの経緯は。

 水野 李寿仁先生の事務所の一角を間借りさせてもらっていますが、それまで11ヵ所を転々と避難しました。李先生に「貸してくれないか」と頼んだら「いいよ」と快諾してもらい、TKC会員の絆につくづく感謝しています。最初は友人や親戚を頼っていましたが、もっと落ち着ける場所が必要だったので東京に住んでいる娘のアパートに身を寄せることにしました。
 2~3日で帰れると思い何も持たずに避難したので、まずは職員から社長の連絡先を聞き出し電話することからはじめました。ただ社長の携帯番号を聞いていたのは大体半数くらいだったので安否確認は難航しました。

関与先社長に泣いて喜ばれ「税理士で良かった」と実感

 大藤 関与先への支援状況についてはいかがでしょうか。

 菅原 廃業する方は意外と少ないですね。不動産貸付やアパート経営の関与先は収入がゼロなのでどうしようもありませんが、法人関与先の社長の中には地震保険に入っていて、その保険金を使って事業を再開したいという方もいます。

 髙橋 廃業や休業など様々ですが、顧問料ゼロになった関与先が40%、値下げが20%、変化なしが40%で、全体としての収入は昨年の半分くらいに激減しました。
 5月から通常業務を始めるため、4月に職員を呼び出し「また一緒にやろう」と伝えました。11人いた職員は全員一時解雇して失業保険で生活してもらい、その後再雇用するつもりでした。ところがすぐに1人去り、2人去り、今では5人だけになってしまいました。「落ち着いたらまた雇うよ」ときちんと伝えていたつもりでしたが、やはり解雇すると職員としても切り捨てられたように感じるようで、これが一番後悔しましたね。残った職員も不安がっていたので、全員再雇用をしました。

水野貴雄会員

水野貴雄会員

 水野 私の場合、関与先はほとんど休業状態なので仕事は無いのですが、東京電力への損害賠償請求の申請代行をしているのでそれが結構忙しい。また1社だけ原発の処理の関係で毎月利益が出ている会社があり、売上も前年の2倍になっています。
 一番気の毒だったのは、原発から4㎞程度の場所で昨年飲食店を開業したばかりの関与先です。約6千万円をかけて設備投資をしたので「先生、これからどうすればいいんですか、今月から借金を返すんですか」と社長の奥さんが電話口で泣いていたので「とにかく生活資金が大事だから、借入金の返済を止めるため預金をカラにしなさい」と助言しました。
 そんなこともあり、関与先には一度会って話をしないといけないなと、レンタカーを借りて会いに行くことにしたんです。千葉、茨城、栃木、新潟、仙台など約4千㎞を10日ほどかけて回りました。そしてとにかく話を聞いてあげると安心するようで、お互い涙を流し「無事で良かった」と抱き合った社長もいました。こんなに喜んでもらえるなんて税理士をやっていて本当に良かったなと思います。
 そして今後について、①事業を継続する、②廃業する、③休業する、の3つのうちどうするかを確認したのですが、継続するという関与先は10件くらい。これでは職員は抱えられないので1人ひとりに電話で「勘弁してくれ」と事情を説明して、失業保険の手続きをしました。
 次の日曜には、お詫びのつもりで職員を全員集めて食事をする予定です。最初は舟盛りをしようと思いましたが(笑)、それが無理だったので分厚いステーキを2倍にしてもらいます。

 大藤 収入が激減する中、職員を抱えるかそれとも解雇をするか、自分に置き換えても本当につらい判断だったと思います。

数年でほとんどの関与先が廃業「自利利他」の精神でやるだけ

大藤正樹副会長

大藤正樹副会長

 大藤 結びに、今後の事務所経営についてお聞かせください。

 菅原 私も最初は関与先を少なくして小規模でやっていこうかと思ったこともありましたが、陸前高田市は税理士が少ないので、やはり地域のためにも続けていこうと思います。
 また最近特に感じているのは、TKCの知名度が上がっているということ。先日も「TKCだから」ということで関与の打診がありました。今後もTKC会員として恥ずかしくないように気を引き締めたいと思います。

 髙橋 今後は津波によって土地の評価額が変わったり、また相続人が不明になっているなど、相続の複雑な案件が多くなることが予想されます。気が重いですが、そうした申告をしっかりやっていきたいと思っています。
 また法人関与先についても、まず決算申告を終わらせて、翌月巡回監査率も2年くらいで80~90%まで回復させていきたいですね。

 水野 皆さんに言いたいのは、いざという時のために、事務所の資金には余裕をもっておくということです。もちろん関与先の社長についても同じです。だから私も家内に「小遣いを上げてくれ」と言ったら「何をバカ言ってるの」と一蹴されましたけど(笑)。
 当面の仕事としては東電の補償問題に関係する業務が中心で、あとは数年でほとんどの関与先が廃業してしまうので、その清算のお手伝いです。それこそ「自利利他」でやっていくしかないなと。今はTKCからの義援金のおかげで生活できているので、何年か経ったらその恩返しをしたいと思っています。

(構成/TKC出版 村井剛大)

(会報『TKC』平成23年11月号より転載)